選挙人制度のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:39 UTC 版)
「アメリカ選挙人団」の記事における「選挙人制度のはじまり」の解説
選挙人の制度は1787年9月17日発効のアメリカ合衆国憲法制定のときに導入された。当時はラジオ放送やテレビジョン放送などは無く、新聞と呼べるものがあった程度であるが、識字率も低く、有権者が大統領候補の政策や主張を知る機会が少なかった。さらに、領土の広大さに対して交通も通信も未発達であり、全土で同時に直接選挙を行うことは物理的に難しかった。 そこで、いずれかの候補者の支持を表明する地元や地域の信頼に値する名士や知識人を前もって複数の選挙人として指名しておき、選挙で候補者への支持を託す選挙人を選び、間接的に託された選挙人が大統領を選ぶという方法を採用した。選挙人が行う選挙によって国家主権を有する州ごとに大統領候補の中から一人だけを選択することとなる。 もう一つの理由としては、黒人を始めとする奴隷の存在があった。ジェイムズ・ウィルソンは、当初から直接選挙を主張したが、ジェームズ・マディソンは南部にとって容認できないと反対した。当時、奴隷に選挙権はなかったため、奴隷の多い南部諸州は選挙戦で不利になるからである。かといって、奴隷に選挙権を認めることはマディソンにとって論外であった。そこで彼が代案として出したのが、「奴隷は3/5人(のちに3/4人)とみなし、人口に計上した上で、選挙人の分配に反映する」という制度だった。奴隷の人口のみを利用し、選挙権は認めない便法だった。この規定は、アメリカ合衆国憲法第1章第2条第3項及び第2章第1条第2項にあり、代議院(下院)定数もまた、同様の方法で決定していた。 1800年アメリカ合衆国大統領選挙で当選したトーマス・ジェファーソンは、実際には選挙権のない奴隷人口で水増しされた選挙人でアーロン・バーと同率1位になり、代議院(下院)の決選投票で大統領に選出された。このためジェファーソンは「黒人大統領」と揶揄された。 奴隷制度が廃止となって普通選挙が導入され、交通や通信技術が発達し、全国同時に選挙が行えるようになった後も、選挙人制度は廃止されることなく、現在に至っている。駐日アメリカ合衆国大使館の運営する「アメリカンセンターJAPAN」では、選挙人制度が現在も維持されている理由を以下のように解説している。 憲法に規定された制度であるため、修正が難しい。また、大半の米国民はこの制度を支持している。 二大政党制維持のため、共和党と民主党のどちらも制度変更の動機がない。 同制度がある結果、大統領候補は選挙人の割り当てが少ない(=人口の少ない)州でも選挙運動を行う必要があり、その結果候補者は各地の有権者の関心事を知り、それに対処する必要性が出てくる。 しかし、各種調査によると、選挙人制度を廃止して直接選挙への移行を望む有権者も増えており、特に民主党の支持層にその傾向が強い。
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