遣明使履歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 02:47 UTC 版)
遣明使履歴回数年船備考11401年 幕府船 明に国書を送る。正使祖阿(同朋衆)・博多商人の肥富(こいずみ)を派遣した。翌1402年、明は大統暦を義満に与え、日本国王として遇す。国書は公家の東坊城秀長が作成。 21403年 幕府船 明に国書を送る。堅中圭密を派遣。国書は絶海中津が作成。以降、正使・副使は主に五山禅僧が担当。 31404年 幕府船 勘合貿易(日明貿易)開始 41405年 幕府船 51406年 幕府船 61408年 幕府船 71410年 幕府船 81411年 幕府船 以降、足利義持の時期に断絶。 91432年 幕府船・相国寺船・山名船・大名寺院十三家寄合船(岩清水社家や細川家などの共同出資)・三十三間堂船 101434年 幕府船・相国寺船・山名船・大乗院船・三十三間堂船 111451年 天竜寺船・伊勢法楽舎船・九州探題船(博多聖福寺造営船)・大友船・大内船・大和多武峯船 121465年 幕府船・細川船・大内船 これ以降、細川氏と大内氏との抗争時代になり、寺社船は派遣されなくなる。 131476年 幕府船・相国寺勝鬘院船 141483年 幕府船・内裏船 151493年 幕府船・細川船 161506年 大内船・細川船 171520年 大内船・細川船 181538年 大内船 1540年(天文9年)とも。日朝貿易に従事する大内義隆が明の北京へ派遣。湖心碩鼎らが赴く。また、このときに「日本は朝鮮を服事(服属)させているから、席次は朝鮮より上にすべし」と明に要請。 191547年 大内船 最後の遣明使船
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