違憲訴訟の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 06:42 UTC 版)
「児童オンライン保護法」の記事における「違憲訴訟の経緯」の解説
本法の施行を目前に控えた1998年11月19日、アメリカ合衆国連邦政府はフィラデルフィア連邦地方裁判所より、児童オンライン保護法の合憲性が確定するまで同法の施行を仮に延期せよとの命令を受けた。連邦政府は上訴したが、連邦第三控訴院は原審を維持して延期を相当と認めた。同時に、有害情報を定義する際に用いられた"Contemporary community standards"(現代の正常な社会通念)という語句が、拡張解釈を誘発しかねず不適当であると判示された。 連邦政府は上告し、2002年5月、合衆国最高裁判所によって原審が本法を違憲と認定した理由は不適切であるとの判断が示された。しかし、最高裁判所は同法の合憲性を明言せず、また施行の延期を命じる仮処分は正当であると判示し、事件を控訴院へ差し戻した。2003年3月6日、連邦第三控訴院は改めて本法の違憲性を認定し、連邦政府も再び合衆国最高裁判所へ上告した。2004年6月30日、Ashcroft vs. ACLUにおいて最高裁判所は児童オンライン保護法には違憲の疑いがあると論じ、同法の施行の延期を改めて追認した。 法廷は、アメリカ合衆国議会に設けられた委員会の報告書を援用し、未成年者による有害なウェブサイトへのアクセスを防止するには、フィルタリングソフトの普及で十分であると付言した。そして、児童オンライン保護法の合憲性を改めて集中的に審理させるため、事件をペンシルベニア州連邦地方裁判所へ差し戻した。 2006年10月25日、審理が開始された。アメリカ合衆国司法省は審理の準備段階において、国内のサーチエンジンに対して、本法の合憲性を裏付ける一連の証拠を提供するよう命令した。Googleを除く諸々の検索エンジンが同意し、司法省の望む情報を提供した。2007年5月22日、連邦地裁判事のローウェル・A・リードは、児童オンライン保護法は、アメリカ合衆国憲法修正第1条(表現の自由)および同修正第4条(不当な捜査の禁止)に違背するものと認定し、同法の違憲性を明言した。 リードは、「子供たちの保護という名目の下に、表現の自由の原理を腐敗させたなら、彼らが大人になった日に、それこそ彼らの保護が奪い去られる事態を生み出すかもしれない」と述べ、本法の恒久的な凍結を命令した。アメリカ合衆国連邦政府は上訴するが、2008年7月22日、連邦第三控訴院は上訴を退け、この法廷にとって三度目となる違憲判決を下した。そして2009年1月21日、合衆国最高裁判所は連邦第三控訴院判決を支持し、アメリカ合衆国司法省の上告を棄却。この判決により、児童オンライン保護法の無効が最終的に確定した。
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