過去の愛称列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:08 UTC 版)
バファローズ号 大阪ドームで大阪近鉄バファローズ主催試合が行われていた際、試合開始時間に合わせて河内長野駅・橿原神宮前駅→大阪阿部野橋駅間の準急および吉野駅→大阪阿部野橋駅間の急行に愛称板が取り付けられていた。 本拠地を藤井寺球場としていた時には、臨時列車なども運転されており、定期の急行・区間急行などが藤井寺駅に臨時停車していた。また大阪阿部野橋駅発着の臨時準急(河内松原のみ停車)と臨時急行(無停車)、大阪阿部野橋駅・藤井寺駅 - 吉野駅間の臨時快速急行(快速急行停車駅の他藤井寺に臨時停車)と大阪阿部野橋駅・藤井寺駅 - 橿原神宮前駅間の臨時区間急行(区間急行停車駅の他藤井寺に臨時停車)も試合開始前と試合終了後に設定されていた。 ぼたん号 「さくら号」の運転終了後からゴールデンウィークまでの土休日に大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅で運転されていた。定期の急行2往復に愛称板が取り付けられ、ボタンで有名な石光寺・當麻寺への参拝者のため二上神社口駅・当麻寺駅に臨時停車していた。 あすか・みよしの号 「さくら号」の運転終了後からゴールデンウィークまでの土休日に大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間で運転され、定期急行の2往復に愛称板を取り付けていた。1989年頃までは快速急行として運転し、二上神社口駅・当麻寺駅に臨時停車していた。 秋にも大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の定期急行2往復に愛称が付けられ、10月から11月中旬の土休日に愛称板を掲出して運転されていた。 新緑号 「あすか・みよしの号」の掲出終了後から6月前半までの土休日に、大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間で運転され、定期急行の2往復に愛称板を取り付けていた。 あじさい号 大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の定期急行2往復のうち、大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅間に愛称板が取り付けられ、「新緑号」の掲出終了後から6月中旬までの土休日まで運転されていた。大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅間で定期急行が設定されていた時期には、その列車に愛称板が掲出されていた。 ぶどう号 1958年9月に臨時準急として大阪阿部野橋駅 - 駒ヶ谷駅(回送で二上山駅)間で運転され、1962年からは8月・9月の休日に2往復が運転されていたが、1969年以後は3 - 4往復運転されていた。1980年代頃まで、7月下旬から9月上旬の期間、朝夕の急行の一部が駒ヶ谷駅に臨時停車していた。 なし狩号 9月の土休日に、大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の定期急行1往復に愛称が名付けられ、梨の形をあしらった愛称板を掲出して運転していた。定期特急に愛称を名付けていたり、快速急行を運転して、大阿太駅に臨時停車していた時期もあった。福神駅・大阿太駅周辺は、奈良県内で梨の産地で有名である。 なし狩号は、その前身となる「20世紀号」という名称で、快速急行として1970年から運転を開始し、その後1979年からは大阪阿部野橋駅 - 下市口駅間で特急列車としても運転し、大阿太駅に臨時停車していた。 特急列車に愛称板を掲出する場合の車種ごとの取り扱いは以下の通り。16000系:通常使用している行先方向板の代わりに愛称板を掲出。 16010系:貫通扉の行先方向幕に加え、サボ受けに愛称板を掲出。 16400系:車外に愛称板を掲出するサボ受けがないため、愛称板は未掲出の状態で運転。 大台号 大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の定期特急1往復に名付けられていた愛称で、10月から11月中旬に運転されていた。大台ヶ原山をイメージした愛称板が取り付けられていた。愛称板の掲出については、なし狩号と同様の取り扱いであった。 越年号 大晦日から元旦にかけての終夜運転実施時に、古市駅に停車する特急に名付けられる愛称であった。 建国号 2月11日(建国記念の日)に橿原神宮で行われる紀元祭にあわせて、大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の定期急行2本のうち、橿原神宮前までの区間に愛称が名付けられ、愛称板も掲出していた。
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