遊覧バスと全国初の女性バスガイド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:55 UTC 版)
「別府地獄めぐり」の記事における「遊覧バスと全国初の女性バスガイド」の解説
別府の各地に散らばる地獄を遊覧するために、1917年(大正6年)頃に初めてハイヤーを使った遊覧が行われたが、団体客の輸送に十分に対応することはできなかった。しかし、1928年(昭和3年)に別府市で中外産業博覧会が開催されることになり、博覧会を機に別府を訪れる多数の観光客に対応するため、本格的な遊覧バスの運行が急務とされた。 そこで、油屋熊八が同年に亀の井自動車(現亀の井バス)を設立し、地獄めぐり遊覧バスを運行することとなった。当時の遊覧バスは、午前7時半(冬期は8時半)から午後4時までの25分毎に発車し、乗客は途中の地獄で自由に降車し、他のバスに再乗車することができた。今日、全国で見られる女性バスガイドは、この際に熊八が考案したことに始まる。2009年(平成21年)に亡くなった村上アヤメは当時採用された第一号ガイドの一人である。若い女性の採用と、七五調による観光案内を行い、大好評を博したこの遊覧バスの成功が、地獄めぐりの人気を決定的なものとした。 この亀の井バスにより運行されている『別府地獄めぐり』は、国内で最も長い歴史を持つ定期観光バスであり、現在も女性バスガイドによる昔ながらの七五調の観光案内を一部交えて地獄組合加盟の8つの地獄を約2時間半で巡ることができる。 現在の地獄めぐりは、別府駅を起点として鉄輪の海地獄から柴石の龍巻地獄まで時計回りに行われている。ところが、昭和30年代までは南立石の鶴見地獄・八幡地獄、明礬の紺屋地獄等も非常に有名であり、今よりも地獄めぐりの範囲が広かった。つまり、現在は海から別府を見たときに右側(北側)の山手(御幸・野田)に地獄が集中しているのに対して、昔は左側(南側)の山手(南立石)や中央の山手(明礬)にも有名な地獄があり、1921年(大正10年)12月別府温泉の繁華街流川を起点として、流川〜霊泉寺(鶴見地獄)〜鉄輪〜柴石〜亀川駅の間に整備された地獄循環道路を遊覧バスが相互に行き来していた。
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