遊歴中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:46 UTC 版)
将棋遊歴をしていた際、以下のような経験をしている(本人談)。 石川友次郎(後に35歳で死去)を追って北関東を探し回った後、木更津でついに再会。そして、関根を追っていた村社浅吉も木更津で合流。三日三晩将棋を指し続け、頬が落ちて目がギラギラしたため、宿の人達が気味悪がって近寄らなかった。 熊本で人混みの中を歩いていたとき、懐にしまっていた修行の棋譜とお金少々をスリにすられた。同じく熊本で、熱病にかかって医者にかかっても治らないことに癇癪を起こし、宿の池に飛び込んで浸かり水もがぶ飲みしたところ、翌日から回復した。 新潟から山形に小さい船で向かった際、大しけが何日も続き、他の乗船者達が念仏を唱えたとき、駒と本を腹に巻きつけて転覆に備えた。その後、観念すると、今度は駒を磨き始めた。 碓氷峠で膝の高さまで雪が積もっていて、人に止められたのを聞かずに一人で歩き倒れそうになったところを助けられた。 白河で歩いている途中、道端で倒れたが、夜露で目が覚めたところ、運良くそこが瓜畑であったため、空腹を逃れることができた。 一文無しで空腹を抱えて川越の出外れを歩いていたところ、古道具屋を発見。中に入って交渉した結果、「買おう。何か売るものはないか(=めぐむのではない、何か差し出せば買って金を出してやるぞ)」と店主に提案される。売るものなどなかった関根は、その場で身につけていたふんどしを外し店主に渡して、代金として天保銭1枚を貰った。その金で焼き芋を買って食べ、人情に涙した。「将棋ではめったに負けたことはなかったが、この主人には負けた。今でもよくこの主人のことを思い出す」と後に述懐している。
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