逮捕から亡命へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:23 UTC 版)
「ラビア・カーディル」の記事における「逮捕から亡命へ」の解説
ラビアは、中国における最も著名なウイグル人として活躍すると同時に、新疆におけるウイグル人の人権状況改善を党・政府に対して積極的に訴えた。1996年の政治協商会議では、漢族によるウイグル人抑圧を非難する演説を行い、注目を集めた。 同年には、ラビアの夫で作家のシディク・ハジ・ロウジが行った書籍の翻訳や、政協会議でのラビアの演説が公安当局の間で問題となり、ラビアは1997年に全ての公的役職から解任された(シディク・ハジ・ロウジは1996年にアメリカに亡命)。1999年8月13日、公安当局は、ウルムチ市内に滞在していたアメリカ議会関係者に接触しようとしたラビアを逮捕し6年間に渡り政治犯として監獄に拘禁された。また、ラビアの夫は9年間に渡り監獄に拘禁され、ラビアの息子2人は現在にいたるまで監獄に拘禁されている。 ラビアの逮捕は、中国内外のウイグル人社会に大きな衝撃を与え、国外のウイグル人を中心に、中国政府にラビアの釈放と、ウイグル人への人権侵害の停止を要求する運動が展開された。こうした運動は、欧米社会の関心を集め、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体による支援も行われた。ライス米国務長官の訪中を控えた2005年に、アメリカから人権問題での批判を受けることを恐れた中国政府は、2005年3月14日に、「外国での病気療養」を理由にラビアを釈放した。ラビアは米国に亡命することとなった。
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