逮捕および処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 17:02 UTC 版)
1863年11月20日、テネシー州マイナー・ヒルの近くで、間に合わせの南軍服を着て北軍の戦闘計画書を持っている所を捕らえられた。彼は協力者の名前を言わなかったため、スパイとして逮捕されたが、捕虜にするには不足とされた。そのため彼が誰と連絡を取っていたのか言わなければ絞首刑を処すると軍事裁判所から宣告された。彼は「1人の友人を裏切って多くの人々が亡くなるのなら自分が死んだ方がましだ」と語り、またネイサン・ヘイルの引用で「友人や信頼を裏切らなければならないなら、もし私に千の命があれば代わりにそれを全て捧げる」と語ったとされる。 デイヴィスは処刑前に母に宛てた手紙で「親愛なるお母さん、これを伝えるのはどんなにつらいことか。明日私は北軍に絞首されて死にます。お母さん、どうか悲しまないで。これで永遠にお別れです。お母さん、私は死ぬのは怖くありません。私の愛を皆さんに伝えてください」と記した。追伸として父に「お父さん、もし遺品が必要なら受け取ることができます。この後テネシー州プラスキに行くことになっています。宿屋に何か残しておきます」と記した。 1863年11月27日、テネシー州プラスキにて北軍から絞首刑を受けた。棺の上にある絞首台まで転がすため、北軍兵は協力者を大声で募った。執行者がデイヴィスの若さと落ち着いた態度への戸惑いをごまかすためとされる。デイヴィスは「私は義務を果たしただけです。次はあなたの番だ」と語った。
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