連載活動の休止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 13:55 UTC 版)
『少年よラケットを抱け』の執筆中、心臓疾患と網膜剥離を患って手術を受けることになり、ちばの身を案じた妻がちばの入院中にスタッフを解散させた。このため、1994年(平成6年)に連載を終了した『少年よラケットを抱け』以降は短編作品の執筆を中心とし、大人数を雇うプロダクション形式での長期連載は行っていない。 1998年(平成10年)にはやなせたかしの後任として、社団法人日本漫画家協会の常任理事に就任。また、2002年(平成14年)に横浜市で開催された『第5回アジアMANGAサミット』実行委員長に就任し、漫画文化の担い手として活躍する一方、2005年(平成17年)からは文星芸術大学でマンガ専攻の教授を務め、後進の育成に力を注いでいる。表現の自由に関する問題にも関心が高く、東京都青少年の健全な育成に関する条例改正問題に関しても何度も積極的に発言しており、特に東京都知事・石原慎太郎が進める“非実在青少年”規制には否定的。 2012年、日本漫画家協会理事長に就任し、2018年6月から同協会会長となる。2019年4月1日より文星芸術大学学長に就任。 2021年10月29日、体調を崩し東京都内の病院へ入院した。持病の心臓疾患などの治療を受け、年内に退院予定。 2022年1月4日、自身のブログを更新し仮退院したことを報告した。 2022年2月22日、2022年3月1日付けで文部科学大臣が発令する予定の日本芸術院の新設分野「マンガ」の新会員候補として選出された。 2022年3月31日 文星芸術大学学長を退任。
※この「連載活動の休止」の解説は、「ちばてつや」の解説の一部です。
「連載活動の休止」を含む「ちばてつや」の記事については、「ちばてつや」の概要を参照ください。
- 連載活動の休止のページへのリンク