退役・戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:06 UTC 版)
「ポーパス (SS-172)」の記事における「退役・戦後」の解説
ポーパスは、より優れたガトー級潜水艦やバラオ級潜水艦の大量就役により第一線任務から退いた。真珠湾を出港してコネチカット州ニューロンドンに向かい、1943年9月に到着して同地で訓練潜水艦として使用されることとなった。ポーパスは1944年5月から6月にかけてフィラデルフィアでオーバーホールが行われた以外は、退役まで訓練任務に使用された。 ポーパスは1945年11月15日にマサチューセッツ州ボストンで退役し、同地で予備役状態のまま1947年5月8日まで保管、その後第8海軍管区に配属された。続く9年間、テキサス州ヒューストンで海軍予備役兵の訓練任務に従事し、1956年8月13日に除籍、1957年5月14日にルイジアナ州ニューオーリンズのサザン・スクラップ・マテリアル社にスクラップとして売却された。 ポーパスは第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章を受章した。 なお、「ポーパスは4月8日に誤って病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)を攻撃した」云々と記載するサイトが存在するが、1942年4月8日はフリーマントルに停泊中であり、1943年4月8日も攻撃を行ったという記録はない。
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退役・戦後
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「パイク (SS-173)」の記事における「退役・戦後」の解説
パイクは、より優れたガトー級潜水艦やバラオ級潜水艦の大量就役により第一線任務から退いた。11月3日、パイクはコネチカット州ニューロンドンに到着する。その後終戦までニューロンドン海軍潜水艦基地で訓練任務を担当した。パイクは終戦後の1945年11月15日にボストンで退役し、1946年9月にメリーランド州ボルチモアで予備役訓練艦となる。訓練任務が完了すると、1956年2月17日に除籍され、1957年1月14日にニューヨークのA・G・スクーンメーカー社にスクラップとして売却された。 パイクは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。
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