退下後の斎宮とは? わかりやすく解説

退下後の斎宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:28 UTC 版)

斎宮」の記事における「退下後の斎宮」の解説

この項目には、JIS X 0213:2004規定されている文字含まれています(詳細)。 退下後の前斎宮その後はごく数人除いてあまり知られていない律令制では本来、内親王婚姻相手皇族限られるため、奈良時代までは退下後の前斎宮嫁いだのは天皇もしくは皇族のみであり、平安時代以降内親王臣下降嫁したのは雅子内親王藤原師輔室)ただ1人であった(ただし女王ではもう一人藤原教通となった嫥子女王がいる)。また藤原道雅密通した当子内親王は父三条天皇怒り触れて仲を裂かれており、結婚禁忌ではなかったらしいが、多くの前斎宮生涯独身だったとも思われるちなみに退下後に入内果たした斎宮井上内親王光仁天皇皇后、後廃位)、酒人内親王桓武天皇妃)、朝原内親王平城天皇妃)、徽子女王村上天皇女御)の4人がいるが、井上酒人朝原の3内親王母娘3代にわたり、斎宮となりかつ入内した(南北朝時代懽子内親王光厳上皇妃であるが、天皇退位後入内である)。 院政期には、未婚のままで天皇准母として非妻后の皇后尊称皇后)、さらに女院となる内親王現れる。この初例は白河天皇愛娘媞子内親王郁芳門院)であり、彼女は斎宮経験者であった以後これに倣い斎宮または斎院から准母立后女院となる例が斎宮及び斎院制度途絶まで見られた。

※この「退下後の斎宮」の解説は、「斎宮」の解説の一部です。
「退下後の斎宮」を含む「斎宮」の記事については、「斎宮」の概要を参照ください。

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