近代詩文書運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 15:46 UTC 版)
比田井天来の周囲には、後に前衛書を率いた上田桑鳩や比田井南谷、少字数書を提唱した手島右卿などがおり、新しい書表現について議論が交わされていた。金子も同様に新しい表現方法を模索し、近代詩文書を提唱するに至った。その思想の特徴は『書之研究』に発表した「新調和体」論冒頭に表されている。 過去及び現代の書道界は漢詩句をあまりにも偶像視した。これでなければ書の素材とならぬかの如く考えた者が多いが偏見もはなはだしいので大いに排撃しなければならない。今後の日本書道界はその表現の素材として、我等日常の生活と密接の関係にある口語文・自由詩・短歌・短章・翻訳詩等をとるも差支えはない。古典を望むならば我国の古典を採るべきで、源氏物語・枕草子・万葉集・徒然草、皆書の素材として恰好のもののみである。異国趣味の清算は時代の意欲である。書そのものを現代のものとすると同時にその素材をもまた現代の希求する国語となすべきである。 金子はここで、これまでの書の題材とされてきた漢詩・漢文などではなく、日本語の詩文を新たに書の題材とし、また書表現も現代に相応しい表現とすべきと主張したのである。この考えは次第に受け入れられるようになり、現在では毎日書道展に「近代詩文書」部門が設置されるなど、書の一分野として定着している。
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