軍隊輸送船として沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:12 UTC 版)
「オトラント (仮装巡洋艦)」の記事における「軍隊輸送船として沈没」の解説
第一次世界大戦末期に「オトラント」は軍隊輸送船に転用された。 1918年10月頃、「オトラント」はアメリカのニューヨークからイギリスのリヴァプールへ向かう護送船団HX50に加入した。HX50船団は輸送船13隻から成り、そのうち「オトラント」「カシミール(英語版)」など客船6隻は西部戦線に向かうアメリカ陸軍将兵5000人を分乗させた軍隊輸送船で、「オトラント」には兵站要員689人が乗船していた。「オトラント」のダヴィッドソン船長が船団司令官(英語版)(仮訳)を務めていた。 HX50船団はアイリッシュ海に接近する2日前から濃霧に包まれ、視界不良で天測航法ができずに正確な位置を把握できないまま、2列縦隊を組んでノース海峡 (イギリス)西方に差し掛かった。右縦隊先頭を行く「オトラント」の船団司令官ダヴィッドソン船長は、アイルランド島北岸に衝突する危険があると判断し、発光信号と旗旒信号で船団に左15度の変針を命じた。しかし、左縦隊先頭の軍隊輸送船「カシミール」は船長の誤認で逆に右15度に変針し、船首から「オトラント」の左舷中部に衝突した。「オトラント」の船体は完全に2つに分断され、船首側も船尾側も8分間以内で沈没した。「オトラント」が発信した遭難信号を受け、護衛の駆逐艦が駆けつけて救助活動を行ったが、乗船将兵689人・乗員100人のうち431人が死亡した。本船の沈没事故は、1917年2月の「メンディー(英語版)」の衝突事故(636人死亡)と並び第一次世界大戦・第二次世界大戦を通じて連合国側で最大級の戦時海難事故であった。
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