軍船の条件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/23 23:29 UTC 版)
「ガレー船時代の海戦戦術」の記事における「軍船の条件」の解説
艦隊は接近戦に頼るため、戦闘用の船には二つの条件が要求された。 船が小さく軽いこと。つまり船員がオール(櫂)で操れること。 船に多くの乗員を乗せられること。漕ぎ手として及び敵船への乗船、乗船してきた敵兵の撃退のための戦闘員として必要だった。 古代から中世にかけては、三段櫂船や他の軍船にも帆が存在した。これは通常の移動において、重労働である漕ぎ手の労力を軽減し、戦闘時の力を蓄えておくためである。帆は戦闘中には巻き上げられており、安全な港が近くにあるときは戦闘前に取り外されることもあった。 上記の条件は紀元前5世紀のアテナイ提督フォルミオンにも、10世紀のノルウェー王オーラヴ1世にも、また1571年のレパントの海戦における神聖同盟、オスマン帝国両軍指揮官の場合にも同様にあてはまった。それぞれのオールと帆の使う割合が多少違うだけである。 地中海の外では、古代のフェニキア人やギリシア人、ローマ人らの操った船の系譜を引く長さ120フィート幅20フィートの細長形で軽いガレー船での航海は難しかった。しかし、ヴァイキング時代に進歩を遂げたノルウェーのようなスカンジナビアの船の船幅は船長の3分の1であり、荒海を乗り切れたばかりでなく、軽くて喫水が浅いために漕ぐのも容易なら、海岸に乗り上げるのも容易だった。 中世の船の中にはかなりの大きさのものがあるが、これらは例外であり、多くは動きが鈍く軍船と言うよりも輸送船であった。軍船が中規模の大きさで乗員も多い場合、長期の航海に就いたり、文字通りの意味で海上封鎖に使うことは、古代や中世の提督達の力を超えたものだった。貿易に使う船は追い風を受ければ速度6ノット程度が期待できた(これはクック船長の航海における平均速度の倍である)。しかし、戦闘用艦隊は、長期の航海において乗員に必要な十分な水や食料を積載することができなかった。ガレー船を使っている限り、つまり18世紀半ばまでは、軍船はできる限り港に繋留され、漕ぎ手のためのテントを甲板の上に張っておくのが常であった。艦隊は補給を受けるために海岸に沿って航海する必要があった。 漕ぎ手に対しては主体的な戦闘能力が期待されることもあった。映画『ベンハー』に見られるような鎖でつながれた強制的な奴隷労働ではなかったと考えられている。[要出典]
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