軍艦「乾行」見学時の挿話
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「山本登喜子」の記事における「軍艦「乾行」見学時の挿話」の解説
権兵衛が、海軍兵学校(東京・築地)所属の運用術練習艦「乾行」乗組の海軍中尉であった1880年(明治13年)、登喜子が「乾行」を見学に訪れた。権兵衛は自ら艦内をくまなく案内し、登喜子が艦から降りる時には、先に桟橋に降りて登喜子の履物を揃えた。男尊女卑の風潮が強い当時、海軍士官が自分の乗艦に妻を招くこと自体が稀であり、ましてや「妻の履物を揃える」など論外であり、権兵衛の振る舞いを見ていた者たちは口々に嘲笑したが、権兵衛は何ら動じることはなかった。この一件は、直ちに兵学校生徒たちの広く知るところとなり、生徒たちの間では権兵衛の振る舞いについて賛否両論があった。以上は、当時の兵学校生徒の一人である木村浩吉(海兵9期・海軍少将)の1934年(昭和9年)における証言による。
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