軍艦と商船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 02:22 UTC 版)
商船は早い段階で外輪による蒸気船(パドル・スチーマー)へと替わって行ったが、船の中央を蒸気機関に占領されていたため、帆船に比べ船倉は小さくなり、機関前後の空間に燃料庫と共に配置された。 一方、軍艦の大型艦に蒸気機関が採用されたのはそれよりも遅かった。19世紀初頭において、海戦の主力は戦列艦とフリゲートであった。特にフリゲートは、幅広い任務の実行力と快速力を併せ持ち、イギリス、フランス、オランダなど各国で建造されていたが、汽走フリゲートの大々的な運用は遅れていた。その理由として、舷側の目立つ場所に大きく露出した脆弱な外輪は、敵の攻撃を少しでも受ければ容易に被害を受けて艦の推進手段を失うと考えられたことや、当時の戦列艦を含めフリゲートの有力な攻撃手段であった乾舷に大砲の砲門を設ける余地が、大きな外輪によって限られることを嫌ったことである。 海戦においての2件の実例では、片側の外輪を使えなくても、速力を減じながら大我なく自力航行が可能であったが、汽走フリゲートが普及するのは、蒸気機関そのものの性能向上やスクリュー・プロペラの実用性が一般に認められてからとなった。 しかし、アヘン戦争、それに続くアロー戦争での白河遡行や第3次ビルマ戦争 (Third Anglo-Burmese War) では、河川や近海という条件に恵まれたため、蒸気船の優位が証明された。これにより、兵員輸送船、河船や小型砲艦の汽船化が主力艦に先立って普及した。
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