軍政部軍事調査部とは? わかりやすく解説

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軍政部軍事調査部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:08 UTC 版)

佐々木丙二」の記事における「軍政部軍事調査部」の解説

1933年昭和8年5月31日関東軍中国軍との間で締結され塘沽協定により満州事変停戦成立し満州国領土確定したが、その後満ソ国境紛争絶えなかったため、関東軍満州国軍政部に対して、約4,000キロメートルに及ぶ満ソ国境全線の兵要地調査命じ4班調査隊が編成された。艦政課から軍事調査部転じ調査隊第2班班長となった佐々木は、1937年昭和12年康徳4年6月19日乾岔子島事件勃発当日興凱湖起点に、烏蘇里江北上その後虎頭虎林)、饒河撫遠等を経て黒竜江入り、これを遡航して黒河達し40数日に及ぶ危険な調査任務を無事完了させた(調査隊第1班班長の法亢盛孝陸軍上尉以下全員戦死遂げた)。調査結果は、張鼓峰事件ノモンハン事件と続く関東軍の対ソ作戦計画使用された。 その後1938年昭和13年6月佐々木以下数名ハルピン出航し松花江下り同江漠河間を往復調査し第2回調査完了させた。途中匪賊襲撃や、護衛砲艇「恩民」の破壊事件など発生した同年11月15日駐満海軍部廃止に伴い佐々木満州国軍政部を辞職し満州引き揚げた。日本海軍満州国撤収日本陸軍との対立原因とされており、「江防艦隊」は満州国陸軍編入、「江上軍」として改組され、関東軍から軍事顧問送り込んだが、士気戦力著しく低下した

※この「軍政部軍事調査部」の解説は、「佐々木丙二」の解説の一部です。
「軍政部軍事調査部」を含む「佐々木丙二」の記事については、「佐々木丙二」の概要を参照ください。

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