軍政部艦政課
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1932年(昭和7年)7月、同年3月に建国されたばかりの満州国に渡り、軍事行政機関である軍政部艦政課に出仕、同年4月に創設された満州国軍、特に江防艦隊の整備などに尽力した。江防艦隊は、北満三江(松花江、黒竜江、烏蘇里江)の満ソ国境警備用水上部隊として編成され、河川流域の匪賊や反吉林軍、馬占山の討伐などに活躍した。 なお、当時の日本海軍は、1931年(昭和6年)9月18日に勃発した満州事変中の1932年(昭和7年)1月27日、小林省三郎少将を首席とする満州海軍特設機関を奉天に設置、さらには1933年(昭和8年)4月1日、同機関を小林を司令官とする駐満海軍部に格上げし、新京に常駐させ、日本陸軍(関東軍)と作戦上の連携を図っていた。また、満州国軍の軍事顧問および軍事教官として、駐満海軍部参謀長の伊藤整一大佐が軍政部顧問、川畑正治少佐が江防艦隊の指導にあたっていた。
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