軍人としての経歴の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 14:16 UTC 版)
「ベニー・ムルダニ」の記事における「軍人としての経歴の始まり」の解説
1945年8月18日のインドネシア独立宣言後、ムルダニはナショナリズムの波に飲み込まれた。1945年10月、中部ジャワのソロにあった日本軍の憲兵隊が、敗戦後もインドネシアの武装勢力に降伏するのを拒絶したため、当時まだ13歳だったムルダニはその憲兵隊本部の襲撃に加わった。インドネシアの正規軍である人民治安団(TKR、国軍 (ABRI) の前身)が結成されると、ムルダニはその地方旅団の指揮下にあった学生軍 (Tentara Pekajar, 略称 TP) に参加した。この旅団を通してムルダニはオランダに対する独立戦争に身を投じ、その佳境であるソロ大攻勢にも加わり、その作戦成功を目の当たりにした。 インドネシアの独立が達成されると、独立戦争で学業を中断していたムルダニは、再び学校教育を受ける機会を得て、中等学校を卒業、その後おじの商売を手伝いながら、高等学校にも通い、普通教育を終了した。1951年、インドネシア政府は復員手続きに取りかかったが、ムルダニが所属した旅団はうまく機能しており、独立戦争時に抱え込んだ兵をそのまま国軍に仕官させることができたと考えられる。ムルダニはその旅団から陸軍将校養成センター (Pusat Pendidikan Perwira Angkatan Darat, 略称 P3AD) に配属され、1951年1月にそこでの訓練が始まった。それと同時にムルダニは歩兵訓練学校 (Sekolah Pelatih Infanteri, 略称 SPI) にも入学した。 ムルダニは、1952年4月には P3AD での、1952年5月には SPI での軍事教育を終えた。そして上級准尉の階級を与えられた。2年後の1954年、ムルダニは少尉に昇級し、西ジャワ地区の治安を担当する第3地方軍 (シリワンギ師団, Tentara Territorium III Siliwangi, 略称 TT III Siliwangi) に配属された。
※この「軍人としての経歴の始まり」の解説は、「ベニー・ムルダニ」の解説の一部です。
「軍人としての経歴の始まり」を含む「ベニー・ムルダニ」の記事については、「ベニー・ムルダニ」の概要を参照ください。
- 軍人としての経歴の始まりのページへのリンク