軍人としての秋山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 00:53 UTC 版)
騎兵を選んだのは他の兵科より一年早く卒業でき、給金を受け取れるという理由だった。また、秋山は長身で手足も長く騎手として適性があった。 日清戦争後、陸軍乗馬学校長となり、自らのフランス留学の経験を活かして騎兵研究に没頭した。その結果、騎兵以外の兵科との連携が不可欠との結論に至り、日露戦争では騎兵部隊に歩兵、砲兵、工兵などを随伴させる戦闘集団(秋山支隊と呼ばれた)を編成した。この工夫によりナポレオンを破る等、世界最強とも言われたコサック騎兵を相手に好戦することができた。 さらに黒溝台合戦では奥保鞏大将率いる第2軍に属し、日本軍最左翼を守備していた。しかし、この部隊は40km余りの戦線に対し、わずか8,000人程度の人員しか配置されていなかった。このため、騎兵の機動力を活かして、有利な位置に敵より早く到着し、拠点に塹壕を掘り穴ぐらに馬ごと潜り、機関銃などの兵器で攻撃する拠点防御方式を採用した。 騎兵は機動力を活用して敵の弱点に対し打撃を与える兵種であり、この戦術はその機動力を捨てるものであった。しかし、防御体制を何とか構築し、ロシア軍を退却させることに成功した。 だが、皮肉にもこの結果が騎兵の評価を下げ、世界中で金食い虫の騎兵の縮小に繋がってしまう。
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