軍人としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 16:47 UTC 版)
「エットーレ・バスティコ」の記事における「軍人としての評価」の解説
1970年代までバスティコの評価は惨憺たるものであった。バスティコと同時期に北アフリカ戦線を戦ったロンメルが「有能なドイツ軍人」として神話化されたことで、ロンメルと対立したバスティコは守旧的で無能なイタリア軍の将軍の典型例として矮小化されたのである。この傾向は、グデーリアンやマンシュタインら他のドイツ軍将校の回顧録において、イタリア軍はじめ同盟国が将校から兵士に至るまで軟弱で軍備も貧弱であるとの評価がなされた事によりさらに強められていた。 しかし1980年代以降、軍事史研究の中でドイツ軍の再検討が進められ、ロンメルの戦略立案能力に疑問符が付けられた結果、上記のような評価は大きく修正されることとなる。具体的には、当時北アフリカに集積された物資のデータなどが検討された結果、補給・作戦支援的観点からエル・アラメインへの進撃に反対したバスティコやカヴァッレーロ、ケッセルリンクの視点は妥当であると指摘されたのである。これらの研究を通し、バスティコは現在、北アフリカという戦場をよく理解し、補給の重要性を正しく認識できていた優秀な上級将校として再評価が進められている。 先代: チェザーレ・マリア・デ・ヴェッキ ドデカネス諸島総督 1940年 - 1941年 次代: イニーゴ・カンピオーニ 先代: イータロ・ガリボルディ イタリア領リビア総督 1941年 - 1943年 次代: ジョヴァンニ・メッセ
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