軍人としての近藤真琴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 14:37 UTC 版)
文久3年(1863年)、幕府軍艦操練所翻訳方に出仕。明治2年(1869年)、築地海軍操練所に出仕し、兵学大助教、兵学少教授、兵学中教授などを歴任し、海軍中佐まで昇進。明治5年(1872年)に免官となり、翌年1月、海軍省6等出仕となり軍属として勤める。欧州出張、海軍二等教官、海軍兵学校航海課長、五等出仕、海兵教務副総理、一等教官などを歴任。明治19年(1886年)2月に病で免官となるまで、海軍兵学校での教育に貢献した。
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