シリワンギ師団
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「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事における「シリワンギ師団」の解説
1945年8月17日、スカルノがインドネシア独立を宣言すると、ナスティオンは発足したばかりの正規軍に参加し、オランダとの独立戦争に身を投じることになった。発足当初の正規軍は人民治安軍 (Tentara Keamanan Rakyat, 以下 TKR) と称し、1946年5月、ナスティオンは西ジャワを管区とするシリワンギ師団の地方軍司令官に任命された。その経験からナスティオンは「領域戦」の理論を培った。後にこれは理論的に発展し、インドネシア陸軍の防衛ドクトリンになった。 1948年1月、インドネシア政府とオランダ政府は停戦協定(レンヴィル協定)に合意した。オランダ側は、この協定成立前にオランダ軍が占領した領域までを現状維持線として譲らなかったため、インドネシア側はこれを停戦ラインとして承認せざるをえなかった。この協定によって、シリワンギ師団が管轄する西ジャワ地方もオランダ領とされたため、ナスティオンは同師団を中部ジャワに移動させることを強いられた。
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