起点の駅としてとは? わかりやすく解説

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起点の駅として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 13:59 UTC 版)

天満橋駅」の記事における「起点の駅として」の解説

1910年京阪電鉄開業に伴い大阪側の起点として設置された駅である。当初現在の北浜駅寄り高麗橋付近に起点を置く計画であったが、大阪市電との絡みもあり計画より京都寄りの当駅が起点となった開業当初の駅は電停変わりのない簡素なであったが、大正時代ホーム高床化・駅舎新築が行われ、3面4線の櫛形ホームとなった昭和初期行われた寝屋川改修工事大川への合流部の付け替え工事)の際に旧河道埋立地払い下げ受けて1932年には3代目駅舎造られた。この駅舎4面6線の旅客用ホーム貨物用ホーム1面1線を加えた構造で、現 OMMビル中央付近に南北地下道があり、これを境に各ホーム東側降車ホーム西側乗車ホームとして、完全な乗降分離行なっていた。地下道南端土佐堀通北側歩道下にあたるが、この地下道南端降車改札口があり、各降車ホームからの乗客地下道改札口経て大阪市電バス乗り換えていた。現在もOMMビル東側には京阪東口称する交差点バス停残っているが、これらはこの降車改札口由来しており、ここから天満橋交差点北東角の乗車口までの土佐堀通北側には名店街もあった。 乗車口南側には1/4円形敷地駅本屋北側には3階建の京阪デパート天満橋店があった(1933年開店)。駅本屋には大形庇があり、戦後ひらかた大菊人形などの各種広告使用された。本屋内中央には円形切符売場があったが、天井ドーム風に非常に高く建築されており、ひらかた大菊人形開催時には提灯広告吊るされるなど、ここでも各種広告が行われていた。この駅舎太平洋戦争大阪への空襲全焼したが、戦後修復され京阪本線地下化まで使用された。

※この「起点の駅として」の解説は、「天満橋駅」の解説の一部です。
「起点の駅として」を含む「天満橋駅」の記事については、「天満橋駅」の概要を参照ください。

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