起源と伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 08:48 UTC 版)
この社会集団の起源は明らかではないが、5〜6世紀頃、中央アジアから繰り返し侵入してきた、イラン系ともテュルク系ともいわれる騎馬遊牧民エフタル(中国名白匈奴)などの外来の諸民族が、在地の旧支配層と融合し、徐々にヒンドゥー教の教義を信奉しつつ、その社会体制に組み込まれたものではないかという説、また、土着の部族のほかに、ハルシャ・ヴァルダナ以降インドに定着したスキタイ系やフン系の民族に由来するとか、北インドを支配した領主層には、クシャトリアの家系だけでなく、バラモンやヴァイシャの家系に属する者がいて、ラージプトラと呼ばれて、全てクシャトリヤの地位を与えられるようになった、など諸説ある。 しかし、当のラージプート自身は、プラーナ文献、例えば『マハーバーラタ』に述べられている伝承上の太陽や月の家系にたどったり、プラティーハーラ朝、パラマーラ朝、チャウハーン朝のように、賢者ヴァシシュタがグジャラート州内にあるアーブー山で守ってきたという「犠牲の火」に先祖をたどっているものもある。こうした伝承は、スータ (suta) と呼ばれる一種の吟遊詩人、弾唱詩人による伝承ではじめて言い伝えたことなので、事実をたどることはできないが、それぞれのラージプートの一族は別々の起源をもっていることを示している。なお、前述した三王朝のほか、カジュラーホーの寺院を建設したチャンデーラ朝が著名である。 ラージプート諸王朝はこの伝承を自らの王権を正当化する根拠とし、古代からの正当なクシャトリヤであることを主張する。
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