陰流の起源と伝承について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 12:23 UTC 版)
久忠の8代の孫、平澤通有が元禄年間に記した家伝『平澤氏家傳』に依ると、久忠は伊勢国愛洲氏の一族で、享徳元年(1452年)に生まれて日向守を称したという。生来刀法が得意で諸国を巡り、35歳の長享元年に日向国鵜戸大権現の岩屋に於いて頭の上で香を焚く修行と37日の祈祷を行って霊験に依り極意を授かったとある。天文7年(1538年)に87歳で死去と記されている。その子孫は永禄7年(1564年)に久忠の子、愛洲宗通が佐竹氏に仕え、天正16年(1588年)、義重より西那珂郡平澤の地を賜り地名をもって「平澤」姓に改めた。子孫は現在まで続いている。 陰流ので伝承はその後平澤家では絶えた。8代平澤通有の『平澤家傅』には「目録十有七軸 所謂序之巻 参学巻 四箇巻 表之巻 裏之巻 中之巻 免之巻 位之巻 留之巻 陰陽之巻 決勝 三神巻 究極巻 霧霞巻 虎之巻 私三巻」とされている。
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