赤線とその終了後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 08:52 UTC 版)
第二次世界大戦後、1954年(昭和29年)8月15日には八日市町が近隣町村と合併して八日市市になった。1956年(昭和31年)5月24日の売春防止法制定、1958年(昭和33年)4月1日の施行により、他の地同様、延命新地の遊郭も解体された。その後の新地の店は、旅館、バー、クラブ、スナック等に業態を変更していった。1960年代に行われた住居表示の変更により、従来、新地のほぼ全域が八日市市浜野町であったのが八日市市本町に変わり、浜野町は「駅前グリーンロード」の北側のみになった。 バンザイ館は1940年(昭和15年)1月の火災を経て、昭和映画劇場と名を変え、戦後1955年(昭和30年)には協楽映画劇場を新設、2館で営業をつづけた(1996年閉館)。1971年(昭和46年)には、駅前の新地至近(現在の八日市本町1番15号)に、平和堂が第5号店として八日市店を出店しており、1994年(平成6年)に移転してからは、ボウリング場「ラピュタボウル八日市」がそれに代わった(2011年10月20日閉館)。八日市市は、近隣の町と合併して、2005年(平成17年)2月11日には東近江市になった。「招福楼」は、2007年(平成19年)に『ミシュランガイド』の「一つ星」に選ばれており、東京都千代田区丸の内に東京店、同新宿区の新宿伊勢丹にデパート店を出店している。「招福楼」については、池波正太郎もかつて『御飯以上 近江八日市・招福楼の懐石八寸』という文章を発表している。
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