貴族になる前のキャヴェンディッシュ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:18 UTC 版)
「キャヴェンディッシュ家」の記事における「貴族になる前のキャヴェンディッシュ家」の解説
「キャヴェンディッシュ」の名はアングロサクソン語に由来し、サフォーク・キャヴェンディッシュ(英語版)の地名に由来する。ここは1086年のドゥームズデイ・ブックにKavandiscとして記録され、1242年にはCavenedisと記録されている。この言葉は「Cafnaの牧草地」を意味する。Cafnaというのは7世紀以前の古い個人名であり、「大胆」を意味するCafから派生した言葉である。ediscは囲い込む牧草地を意味する。その後「Candish」や「Cavendish」と表記されるようになった。 キャヴェンディッシュ家はノルマン騎士ロバート・ド・ジャーノン(Robert de Gernon)の子孫にあたる。このロバートの息子のグリムストン・ホール(Grimston Hall)のロバート・ド・ジャーノンは、キャヴェンディッシュのジョン・ポトン(John Potton)の女子相続人と結婚し、キャヴェンディッシュの土地を手に入れた。その息子たちがキャヴェンディッシュの土地の名を姓にするようになった。 キャヴェンディッシュ家の祖であるサー・ジョン・キャヴェンディッシュ(英語版)(1346頃–1381)は、リチャード2世の治世の1372年から1381年にかけて王座部裁判所長官(英語版)を務めたがワット・タイラーの乱で殺害されている。その子孫のトマス・キャヴェンディッシュ (-1523)はヘンリー8世の時代に財務控訴裁判所(Court of Exchequer)のパイプ・ロール書記官を務めた。その息子ジョージ・キャヴェンディッシュ(英語版)(1500–1562頃)は枢機卿トマス・ウルジーの伝記を書いた。その弟ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1505–1557)は、財務省官僚として修道院解散による土地没収からの横領でキャヴェンディッシュ家の巨額の財を築いた。その3番目の妻ハードウィックのベス(英語版)は、エリザベス1世時代に最も有力な人物の一人となった。彼らは1549年にダービーシャー・チャッツワース(英語版)の土地を購入し、1552年に同地にチャッツワース・ハウスを建設した。 夫妻の長男ヘンリー・キャヴェンディッシュ(英語版)(1550–1616)の子孫はウォーターパーク男爵家となり、お気に入りの次男ウィリアム・キャヴェンディッシュ(英語版)(1552–1626)は、1608年にベスが死去した時にノッティンガムシャーのワークソップ(英語版)やオールドコーツ(英語版)、チャッツワースやハードウィック・ホール(英語版)といった重要な4つの邸宅を相続し、デヴォンシャー公爵家(とその分流チェシャム男爵)の祖となる。三男チャールズ・キャヴェンディッシュ(1553頃–1617)は、ニューカッスル=アポン=タイン公爵家(後に廃絶)の祖となった。
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