貫通ブレーキの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:34 UTC 版)
「鉄道のブレーキ」の記事における「貫通ブレーキの開発」の解説
列車が高速化し、長編成で重量が大きくなるにつれて、機関士の操作によりすぐにブレーキ力が得られ、かつ緩めることもできるような、より強力なブレーキが必要とされるようになってきた。機関士の操作1つで列車全体に一斉にブレーキを掛けられるこうしたシステムを貫通ブレーキと呼ぶ。 しかしながら、こうした要求に応えることは技術的に困難であった。列車全体にわたって求められる一定の力でブレーキを掛けられるようにしながら、列車に車両を繋いだり切り離したりできるようにする必要があったからである。この時期には車両の連結・切り離しのない固定編成の列車は滅多になかった。 最も初期には、鎖やワイヤーを使ったブレーキシステムが開発された。主にドイツの鉄道で利用され、ヘーベルラインブレーキと称される。イギリスではクラーク・アンド・ウェッブチェーンブレーキシステム (Clark and Webb Chain Braking system) と呼ばれた。編成の屋根の上または床下に鎖やワイヤーが引き通されており、これを機関車から引っ張ることで各車両のブレーキを動作させた。しかし適用できる列車の長さに制限があり、鎖やワイヤーの調整に手間が掛かると共に、扱う係員はよく訓練をしておく必要があった。また鎖やワイヤーが切れると一部の車両にブレーキが掛からなくなるという問題もあった。 真空ブレーキもまた初期に開発された貫通ブレーキシステムで、1874年に最初に導入された。機関車に搭載されたエゼクターまたは真空ポンプによりブレーキ管から空気を抜き、これによりブレーキシリンダーのピストンを駆動して制動力を得る仕組みで、効果的で値段も安かった。初期には、走行中にブレーキ管が破損するとブレーキが全く効かなくなってしまうという致命的な欠点があったが、常時ブレーキ管を真空にしておき、ブレーキ管に空気が入ってきた時にブレーキが掛かるようにする改良が行われて解決された。 主にイギリス流の鉄道技術を導入した国で真空ブレーキは普及した。しかし空気ブレーキに比べて装置が大きく、制動力も小さいという問題があり、多くの国では空気ブレーキへ移行した。イギリスでは長らく空気ブレーキへの変更が行われず、第二次世界大戦後まで残った。2008年現在でも真空ブレーキを使い続けている国も存在する。 イギリスでは、1930年頃まで旅客列車にのみ貫通ブレーキが搭載されており、貨物列車はよりゆっくり走って、機関車と緩急車に搭載されたブレーキに頼っていた。こうした貫通ブレーキを備えていない列車は、イギリスでは1985年頃まで存在していた。しかしながら1930年頃からは準貫通ブレーキとも言うべき列車が導入された。この列車では一部の貨車に貫通ブレーキが装備されており、列車中で貫通ブレーキを備えた貨車を機関車側に集めて連結することで、機関車からブレーキを操作することができるようにしていた。こうした列車は、完全に貫通ブレーキを備えていない列車よりも幾分速い速度で走ることができた。
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