豊臣政権における「取次」の役割
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「取次 (豊臣政権)」の記事における「豊臣政権における「取次」の役割」の解説
豊臣政権において「取次」は、諸大名への命令伝達、統一過程での服属促進、豊臣政権下での政策指導、軍勢や普請の動員や指揮といった役割を果たし、政権からその働きを公的に認められ、期待された最高級のメンバーであった。その構成は統一過程においては大大名があたり、統一が達成されたのちは秀吉側近へと構成が変化していく傾向にある。秀吉は、これら「取次」によって、ある特定人物と全国の諸大名との関係を親密にさせるいっぽうで、それぞれの大名を豊臣政権に取り込んでいった。 「取次」となる人物は単なる秀吉の意思伝達者ではなく、秀吉の発給した朱印状に対する奉書や副状(添状)に署名する権限などが与えられていた。豊臣政権における「取次」は、秀吉朱印状など公的命令を補足しつつ、そのいっぽうでそれぞれの大名と秀吉個人の関係が円滑なものとなるよう期待されていた。「取次」は、豊臣政権の方針を大名に強制することもあったが、大名からしてみれば、直接秀吉に叱責されて改易などの処罰に付されるよりは仲介者からの意見を受け入れて行動や内政等を改めた方がはるかにダメージが少なかった。この機構は、秀吉の立場からは、大名を服属させてみずからの軍役に編成することが容易にできるメリットがあった一方、大名の側からすれば、秀吉とのルートを保証する「命綱」ともなったのである。
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