豊臣政権の始期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:01 UTC 版)
豊臣政権の始期については諸説がある。 天正11年(1583年)5月説 - 朝尾直弘は統一支配者としての自覚を持ち、諸大名の国替・改易を執行し、大坂城の築城と京都掌握によって畿内を支配したことから、賤ヶ岳の戦い直後としている。 天正11年(1583年)6月下旬から7月中旬説 - 尾下成敏は織田信雄が安土城を退いた時期としている。 天正13年(1585年)3月 - 藤田達生は天正10年(1582年)6月の本能寺の変の後も10月に織田信雄が事実上の家督に就いて織田政権を継続したことから、小牧・長久手の戦いに敗北した信雄が上洛して臣従し、官位が上回った時期としている。
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