評論家の観点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:44 UTC 版)
おそらく「誓いの娘」を意味する彼女の名前は歴代誌・上・第3章5節では「Bath-shua」と綴られている。旧約聖書においてバト・シェバに言及している節はサムエル記・下・第11章2節-12章24節、及び列王記・上・第1章-2章があり、いずれの書でも最も古い時代に属している。これはダビデの王宮の歴史の一部で、出来事に非常に近い位置におり、ダビデを理想化しなかった人物によって書かれた。そこに含まれる資料は、これらの書の後の時代のものより高い歴史的価値を持つ。ブッデは旧約聖書の最初の六書のJ資料(ヤーウェスト伝承)と関連づけようとした。 バト・シェバの物語に関する唯一の改竄は、ナタンによるダビデに対する非難で道徳的な色合いが強まるサムエル記・下・第12章の初期の数節である。カール・ブッデ (Karl Budde) によると新たに書き加えられた部分は、12章の7、8及び10-12節で、フリードリッヒ・シュワリーとH・P・スミスによれば12章の1-15a節全体が書き入れられており、15b節は第11章27節と直接繋がっていなくてはならない。これはバト・シェバ自身の物語には直接影響を及ぼしていない。歴代誌ではダビデの過ちを述べる事は差し控えられており、バト・シェバがダビデの妻になった経緯は全て省略され、彼女の子供たちの名前(シムア、ショバブ、ナタン (Nathan)、ソロモン)だけが載せられている。 バト・シェバの父親はエリアム(歴代誌・上・第3章5節ではアミエル (Ammiel) と綴られている)であり、この名はダビデの英雄の1人アヒトフェルの息子の名でもある(サムエル記・下・第23章34節)。これによりバト・シェバがアヒトフェルの孫娘であり、アブサロムの反乱時に彼が加担したのはダビデのバト・シェバに対する行ないへの報復であったと推測される。
※この「評論家の観点」の解説は、「バト・シェバ」の解説の一部です。
「評論家の観点」を含む「バト・シェバ」の記事については、「バト・シェバ」の概要を参照ください。
- 評論家の観点のページへのリンク