設置車両の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 13:24 UTC 版)
テレビは、日本におけるテレビ放送の黎明期と時を同じくして登場した1800系から、登場翌年の1954年8月に白黒テレビの設置を開始し、車両側面の外板窓上に大きく朱色の書き文字で「テレビカー」と表示した。同系列に続く1810系(のちに1900系に編入)および1900系も白黒テレビである。ただし、大阪方先頭車(制御車)に設置した1800系に対して、この2形式では中間付随車にも設置し、1編成に複数のテレビカーを含むようになった。1971年に導入された3000系 (初代)からはカラーテレビとなった。3000系 (初代)ではテレビの設置車両は京都方制御車1形式であったが、この車両を含む3両もしくは4両を1ユニットとして、深夜を除き2ユニット(3両+3両、または3両+4両)を1編成として運行されていたため、1編成中に2両のテレビカーを持つという点は1900系と同じであった。1989年に登場した8000系は、1編成に中間付随車1両のみの設置となるとともに、「テレビカー」の表記が従来の朱書きから、着色のないステンレスの切り抜き文字に変更された。 1990年代に入ると、3000系 (初代)は1編成を残して8000系への置き換えによって廃車が進んだ。残った3000系 (初代)1編成は1995年に実施された車体更新時に、テレビの設置車両を8000系に合わせて中間付随車1両に変更し、側面の「テレビカー」の文字色を8000系のステンレス切り抜き文字に類似したシルバーグレーに改めた(塗装による表記という点は従来通り)。さらに2008年6月に形式変更により、8000系30番台となった。これら8000系がテレビカーの形式としては京阪で最後となった。 2009年に後述するテレビの撤去が開始される前は、8000系11編成にテレビが設置されていた(うち1編成は、3000系 (初代)から編入した30番台)。テレビは編成の中ほど5号車の京都方車端、電話室横に設置されていた。
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