設置、草創期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:03 UTC 版)
2つのローマ条約により欧州経済共同体(英略称:EEC)と欧州原子力共同体(英略称:Euratom)が設立された。しかしながら一部の加盟国が主権を侵害されると反発したことにより、両共同体は従来の共同体と比べて超国家的な性格が極めて抑えられたものとなっていた。1958年1月16日、ヴァル・ドゥシェス城において初のハルシュタイン委員会の公式会議が行われた。欧州経済共同体は関税同盟を設立することが目的とされ、一方で欧州原子力共同体は原子力エネルギー分野における協力を促進するものとして設立された。欧州経済共同体は3共同体の中でももっとも重要な地位を急速に占めることになり、またその活動範囲も広げていった。欧州経済共同体における最初の大きな成果の一つは1962年に農産品の共通価格水準を設定したことである。1968年には特定製品に対する域内での関税が撤廃された。 ところが共同体では1962年に共通農業政策をめぐって緊張が走ることになる。全会一致でまとめられた決定による移行期間が終了することとなり、閣僚理事会における多数決が実施されることになった。これに対して当時のフランス大統領シャルル・ド・ゴールが超国家主義的な決定に反対し、またほかの加盟国が共通農業政策の採決にあたろうとすると、議場からフランス政府の代表を退室させる「空席戦術」で対抗し、フランスが再び拒否権を与えられるまで採決を阻止した。このため1966年1月29日にいわゆるルクセンブルクの妥協がまとめられ、国益にかかわる案件については加盟国の拒否権を認めるという紳士協定がなされた。 1967年、統合条約が発効した。この条約により欧州石炭鉄鋼共同体と欧州原子力共同体の機関が欧州経済共同体の機関に統合され、議員総会と欧州司法裁判所を3共同体で共有することになった。このため3共同体は全体として欧州諸共同体(英:EC)と呼ばれるようになる。諸共同体は統合が進められてはいるがそれぞれで独自の法人格を有していた。その後の基本条約において欧州経済共同体は経済分野における高度な統合に関するもの以外にも新たな権限が与えられていくようになった。政治的な統合という目標と平和で統一されたヨーロッパに近づいていく様子をミハイル・ゴルバチョフは「欧州共通の家」と表現した。
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