設立第1次黄金期とは? わかりやすく解説

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設立・第1次黄金期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:45 UTC 版)

ブラバム」の記事における「設立・第1次黄金期」の解説

1959年・1960年F1チャンピオン輝いたジャック・ブラバムクーパーから独立同郷マネージャー兼マシンデザイナー、ロン・トーラナックとともに1962年にモーターレーシング・ディベロップメント (Motor Racing Development Ltd. ) を設立し競技用スポーツカーフォーミュラカー製造・販売始めた当初マシン社名略した"MRD"と付けたが、すぐに"ブラバム"を用いようになった。 F1には1962年開幕戦オランダGPよりブラバム・レーシング・オーガニゼーション (Brabham Racing Organization ) として参戦当初ロータス量販マシン出走しドイツGPから自製のBT3を投入した参戦3年目1964年フランスGPにおいて、ダン・ガーニーチーム初優勝もたらした1966年レギュレーションの変更により、エンジン排気量制限1.5リッターから3リッターになる。多くチーム苦戦する中、ブラバム信頼性の高いレプコエンジンを選択したことが的中ジャック・ブラバムが4勝を挙げ自身3度目チャンピオンに輝く。これはF1史上自身設立したチームドライバーズチャンピオン獲得した唯一の例である。翌1967年今度チームメイトデニス・ハルムチャンピオンに輝く。どちらの年もコンストラクターズタイトルを獲得しており、2年連続の2冠を達成することとなった1969年には市販化されたフォード・コスワース・DFVエンジンスイッチし、ジャッキー・イクス活躍コンストラクターズ2位となったまた、この時期ブラバムF1以外カテゴリーでも活躍していた。当時F1と掛け持ち参戦するドライバー多数占めたF2においても、1966年にホンダエンジンを搭載したマシンで、ジャック・ブラバムデニス・ハルム2人の手により開幕11連勝達成最終戦ではジャック・ブラバム2位となり惜しくもシーズン全勝逃すものの、圧倒的な強さ見せた。ただし最終戦では、ジャック・ブラバム理由示さず予選欠場したため規定により最後尾スタートとなっており、このため業界内での余計な軋轢避けるためにわざと勝たなかった」と語られることがあるブラバムシャーシ日本にも輸出され創成期国内4輪レース界に影響与えた国産初のプロトタイプレーシングカーある日産・R380はBT8Aを参考開発された。また、鈴鹿サーキット大量購入したブラバム製フォーミュラマシンがプライベーター放出され日本のフォーミュラレース振興貢献している。

※この「設立・第1次黄金期」の解説は、「ブラバム」の解説の一部です。
「設立・第1次黄金期」を含む「ブラバム」の記事については、「ブラバム」の概要を参照ください。

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