設立、繊維工業の中心としての興隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:21 UTC 版)
「ローレンス (マサチューセッツ州)」の記事における「設立、繊維工業の中心としての興隆」の解説
ペナコック族あるいはペンタケット族インディアンがこの地域に住んでいた。デンロック公園で農耕を行っていた証拠や、現在ウッドミルがある場所で鏃を製造していた証拠が見つかっている。 ヨーロッパ人が最初に入って来たのは1640年のことであり、開拓者が海岸からメリマック川を遡り、ニューベリーから入って来た。ローレンスとなった地域はマスーアンとアンドーバーの町に入っていた。ローレンスに入植があったのは1655年であり、ショーシーン・フィールズ、現在のサウスローレンスに小要塞が建設された。 後にローレンス市となった場所は、土地の工業資本家の共同体が購入した。水力利用協会の会員として、アボット・ローレンス、エドマンド・バートレット、ローウェルのトマス・ホプキンソン、ジョン・ネスミス、ダニエル・サンダースがメリマック川のピーターズ滝の利用権を購入し、そこから現在グレート・ストーン・ダムがある場所のボドウェル滝の利用も支配した。このグループは川沿いの開発用の土地を買うために5万ドルを割り当てた。1844年、このグループはエセックス・カンパニーと呼ぶ法人として行動することを議会に請願し、1845年4月16日に法人化された。メリマック川の水力を利用するためにグレート・ストーン・ダムの場所を最初に掘削したのは1845年8月1日だった。エセックス・カンパニーはアーリントン・ミルズのような会社に水力を販売し、また工場の建設を組織化し、適応するように建設した。州議会がこの地域を町として認定した1847年までに、「ニューシティ」、「エセックス」、「メリマック」などと呼ばれていた。1846年に郵便局が建設され、「メリマック」という呼称を用いた。市としての法人化は1853年であり、「ローレンス」という名前は単にアボット・ローレンスに対する敬意の印として選ばれたが、彼にちなんで名付けたということを検証できてはいない。 川の北岸、南岸双方に運河が掘られて水力を工場に提供するようにし、間もなく工場が建てられ、市内と世界の工場所有者と労働者が群れをなして市に集まって来た。その多くはアイルランドからの労働者であり、同じような建設工事を経験していた。作業は危険であり、怪我さらに死亡事故も稀ではなかった。
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