計画の変更とフィオレンティーノ・スッロの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 22:38 UTC 版)
「アウトストラーダ A16」の記事における「計画の変更とフィオレンティーノ・スッロの影響」の解説
後者が選択された主な理由はふたつあった。フォッジャは既に高速道路網に含まれていること、そしてなにより、南で横切ることで経路がより短くなること、であった。しかし、その後の計画では、公共事業大臣フィオレンティーノ・スッロが設計に介入し、最終的にイルピニアとナポリを高速接続するためにこのアウトストラーダがアヴェッリーノを通るようにした。カゼルタ、ベネヴェント、およびサレルノは既にナポリと鉄道がつながっていたが、1950年代の終わりにアヴェッリーノからナポリに行くにはベネヴェントかコードラでの接続が必要であるため車で数時間と更に鉄道で約半日が必要だった。このように、この計画の最初の区間は完全に改変された。 この道路は、カゾーリア地区のA1アウトストラーダ・デル・ソーレ旧ナポリ料金所の数百メートル北で、A1から分岐して始まる。そしてこのアウトストラーダはノーラに向かい東に進み、海抜649mのモンテフォルテ・イルピーノの峠まで上る。 バイアーノからアヴェッリーノ西までの区間は設計者にとっては非常に難しいものだった。勾配が当時の基準での高速道路としての限界を超えたが、ANASと運輸省は即時に例外を認めた。主となる作業は、ヴィシャーノとモンテフォルテ・イルピーノにまたがる約700mのほぼ全体が屈曲している高架橋だった。しかしこの区間より、次のモンテフォルテの峠からアヴェッリーノまでの区間の方がより困難なものだった。5km弱の間に250m下る必要があったのだ。この経路は完全に山の壁面に構築された。短いものも含めて多くの高架橋があり、多くのカーブはきついものだった。 アヴェッリーノにおけるこの道路の歴史は経路の位置決めに限ったことではなかった。設計者はこの町に2つの出入口を造らねばならなかった。当時の人口わずか4万人の町に二つの出入口を造るという要求は、高速道路会社にとってはまったく不可解なものだった。参考までに、当時1つの町に出入口が2つあったのは、ローマ、ボローニャ、フィレンツェだけである。最終的に、町からナポリへの接続を便利にする西出入口に加え、ふたつめの東出入口は、サレルノ方面の高速接続路およびイルピニアの高地に接続するオファンティーナ国道につながる工業地域の近くに決められた。さらに、アペニン山脈、ミラベッラ峠の中間峠、スカンピテッラの最後の峠を越えるという課題があった。そこからこの道路は極端にまっすぐで平坦になるタヴォリエーレの平野に下る。カノーザ・ディ・プーリアで、A14に合流する。
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