観戦武官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 06:11 UTC 版)
「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の記事における「観戦武官」の解説
アメリカ海軍は観戦者の派遣を許可し、各国の武官11人、マスコミ関係者55人、その他随員を含めて100人がフロリダ半島タンパ港より出港した運送船セグランサに乗り込んで現地に向かった。この中には日本海軍の秋山真之がおり、海戦後は運送船セネカに乗り換えて戦争を観戦した。海戦後に全滅したスペイン艦の現地調査を行った秋山は砲弾による被害は僅かであり、搭載した可燃物への引火と弾薬庫への延焼による爆発が被害を大きくしていることを明らかにした。観戦の結果は在米国海軍大尉秋山真之「サンチャゴ・ヂュ・クバ之役(極秘諜報第百十八号)」として日本海軍に報告され、この戦訓報告が後の日露戦争に活かされた。 陸上戦争へも観戦武官が派遣されていた。アメリカ陸軍第五軍団(シャフター少将指揮)への観戦武官の従軍では、先任はロシアのイェルモロフ陸軍大佐、イギリスのアーサー・H・リー陸軍大尉、スウェーデンのウェステル大尉、ノルウェーのアビルゴール大尉、ドイツのグスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン伯爵大尉、日本の柴五郎少佐、そしてトルコの陸軍将官1名とフランスのクレマン・ド・グランプレ少佐が後発で参加した。他にドイツのフォン・レボイル・パシュヴィッツ海軍大尉とオーストリア・ハンガリーのロドラー海軍大尉も参加した。外国武官1人について、乗馬1頭、伝騎6名、テント1張と食事が支給される予定だった。しかしアメリカ陸軍では苦戦が続いており、従軍した各国の観戦武官は待遇が悪く、ロシアのイェルモロフ大佐、フランスのグランプレ少佐は従軍初期にワシントンへ帰還してしまった。最後まで残ったのはイギリスのリー大尉、スウェーデンのウェステル大尉、日本の柴五郎少佐であった。
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