西富田村とは? わかりやすく解説

西富田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/16 03:49 UTC 版)

にしとんだむら
西富田村
廃止日 1955年3月15日
廃止理由 編入合併
西富田村田辺市
現在の自治体 白浜町
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 和歌山県
西牟婁郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,014
国勢調査1950年
隣接自治体 田辺市
西牟婁郡白浜町、南富田村北富田村朝来村
西富田村役場
所在地 和歌山県西牟婁郡西富田村大字才野
座標 北緯33度39分20秒 東経135度22分40秒 / 北緯33.65542度 東経135.37781度 / 33.65542; 135.37781座標: 北緯33度39分20秒 東経135度22分40秒 / 北緯33.65542度 東経135.37781度 / 33.65542; 135.37781
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西富田村(にしとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった。現在の白浜町大字堅田及び大字才野にあたる。

地理

  • 海洋:太平洋、田辺湾
  • 岬:羽山ノ鼻、長崎の鼻
  • 河川:安久川

歴史

交通

鉄道路線

空港

現在は旧村域に南紀白浜空港の敷地の一部が所在するが、当時は未開港。

参考文献

関連項目


西富田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:44 UTC 版)

富田六郷」の記事における「西富田村」の解説

朝明川下流右岸広がる沖積地位置して東富田村対する。戦国期以前東富田村とともに富田御厨の地である。『織田信雄分限帳』に忠岳の前知行地富田七助の知行地記述されている。村高766石余または791石余。助郷東海道桑名宿出没した1827年文政10年)の戸数28軒、人口122人。氏神八幡社。他に山神祀る寺院1190年建久元年開基浄土真宗本願寺派木下山三光寺がある。この寺のは蒔田相模守宗勝の墓がある。東海道沿い賑わいがあり、伊勢湾台風前など松並木景観残っていた。1951年昭和26年)の朝明中学校通学生通学のため西富田地内北部三岐鉄道三岐朝明駅開業した1954年昭和29年)に一部十志町となり、残余西富田町となる。1973年昭和48年)に一部西富田2丁目西富田3丁目、蒔田2丁目蒔田4丁目、川北1丁目、下さざらい町となる。

※この「西富田村」の解説は、「富田六郷」の解説の一部です。
「西富田村」を含む「富田六郷」の記事については、「富田六郷」の概要を参照ください。

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