裏貼資料の発見とは? わかりやすく解説

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裏貼資料の発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 02:24 UTC 版)

甲州道中図屏風」の記事における「裏貼資料の発見」の解説

2007年平成19年度)に本屏風文化財修復専門工房修理が行われ、その課程で裏貼資料存在判明した。裏貼資料屏風の裏同一種類帳簿解体された状態で重なりあって貼り合わされている。帳簿は竪型で、紙の真ん中中心に二つ折り袋とじにされており、中心線基準半丁ごとに切断され判読し得る分に限れば59分が確認されている。うち、714頁分)が表裏ニ頁分が完全な状態で残されている。 裏貼資料近代期遊女屋(借座敷に関する資料判断され、「室ノ番号」「登楼日時」「退出日時」「娼妓名」「遣払金高」「止宿所」「住所」「氏名」の各項目が青色インク一覧表として印刷され警察担当者のものと思われる検印も捺されている。近代期遊女屋においては治安維持観点から遊客人名簿作製5年間の保管義務付けられており、当資料警察遊客把握するために作製され保存期間を過ぎ廃棄された後に古紙業者を介して屏風の裏貼に転用されたものである考えられている。 当資料記されている遊客人の住所船名記載から横浜市中心部港湾近くにあった遊女屋遊客人名簿であると推定され記載され地名分析船舶活動期間 から、当資料明治30年から明治40年にかけて作製されたものである考えられている。また、この推定期間に横浜において営業許可されている遊郭真金町永楽町の2町に絞りこまれる近代期遊客人名簿保存期間過ぎれば廃棄され、その性格から公にされる機会少なく戦災などで焼失している例も多いことから歴史史料として貴重であり、当資料近代期横浜遊郭実態を知る史料として活用されている。 また、裏貼資料年代分析来歴から、甲州道中図屏風明治30年から40年代横浜近辺において表具され、本来の巻子であった屏風絵所蔵していた人物横浜近辺居住していた可能性考えられている。

※この「裏貼資料の発見」の解説は、「甲州道中図屏風」の解説の一部です。
「裏貼資料の発見」を含む「甲州道中図屏風」の記事については、「甲州道中図屏風」の概要を参照ください。

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