虎大尽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:37 UTC 版)
1917年(大正6年)に朝鮮半島で大規模な虎狩り、名づけて山本征虎軍を行ったことが有名である。山本は自らを「勤勉力行」の人物たることを証明するために虎狩りを行うと称したが、世間では前年の補欠選挙で山谷虎三に敗れ落選したため、腹いせで本物の虎を狩る決断したと噂された。 虎狩りの規模は並外れており、マスコミ関係者を含め総勢31名、現地で雇用した猟師やポーターを含めると150名にもなった。山本征虎軍は全体を8班に分け、1〜5班は咸鏡道方面、7・8班は全羅南道で虎狩りを、そして6班は別働隊として金剛山で熊狩りを約1か月間にわたって繰り広げた。彼らは自作の「征虎軍歌」、「虎来い節」などという歌を歌い、征衣を身に纏い虎狩りに赴いた。 1か月間の成果は虎2頭、その他豹、猪、鹿など貨車1両分になったという。虎狩り終了後、まず京城の朝鮮ホテルで、山縣伊三郎朝鮮総督府政務総監らを招き、虎などの獲物の試食会を行い、更に東京に到着後、帝国ホテルに清浦奎吾枢密院議長、田健治郎逓信大臣、仲小路廉農商務大臣、渋沢栄一、大倉喜八郎ら200余名を招き、大々的な虎肉試食会を行った。 当日は食堂の内外に虎狩りにちなんだ竹林を配し、獲物の虎、豹、熊、鹿などの剥製を展示、山本唯三郎自身が虎狩りの実演談を語り、更には舞台では虎狩踊りなどを披露した。しかし肝心の虎肉はトマトケチャップでマリネにして提供されたが、試食に耐えられるものではなかったという。 山本唯三郎はこの破天荒な虎狩りで世間から虎大尽と呼ばれるようになった。 山本は朝鮮虎(アムールトラ)2頭の標本(剥製)を皇太子(後の昭和天皇)と同志社に寄付した。アムールトラは朝鮮半島では後に絶滅したため貴重な存在で、後者は2011年2月の同志社標本館(醇化館)の閉鎖時点でも現存している。
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