藩王国の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 19:37 UTC 版)
「クリシュナ・ラージャ4世」の記事における「藩王国の近代化」の解説
クリシュナ・ラージャ4世もまた、父と同じ近代的思考を持った人物であり、その開明的近代化政策を引き継ぐ形をとった。 1878年にはマハーラージャ大学が設立されていたが、女子にも教育を受けさせるということで、1901年にはマハーラーニー大学が設立された。また、1916年7月1日には首都マイソールにマイソール大学が開設された。そのため、20世紀にマイソール藩王国はインドにおいて、他の藩王国やイギリス直轄領よりも高い教育水準を誇っていた。 また、1908年8月にはカーヴェーリ川水力発電事業が開始され、1912年6月30日には送電が始まったばかりか、1911年11月にはクリシュナラージャサーガラ・ダムの建設が着工、1913年10月2日にはマイソール銀行が設立された。このように、その治世はさまざまな社会改革が行われ、「模範的」な国家とされた。 クリシュナ・ラージャ4世はときにこうした近代化に自ら身を乗り出し、1916年にインド科学会議、1917年にコスモポリタン・クラブの後援者となり、同年には自国にマイソール・ボーイスカウトを設立した。また、1916年からその死まで、彼はマイソール大学とベナレス・ヒンドゥー大学の学長を務めあげた。 こうした近代化の努力はその治世を通して続けられ、20世紀前半にマイソール藩王国を訪れたマハトマ・ガンディーさえも、クリシュナ・ラージャ4世をヒンドゥーの伝統で理想的君主であるラーマとし、藩王国を「ラーマ・ラージヤ(ラーマの王国)」と称した。
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