藩政再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:20 UTC 版)
吉品は綱昌時代に乱れた藩政の統率、および藩の規模縮小に伴う財政の再建を目指した。まず6月には2000人以上の家臣(奥女中含む)のリストラを断行し、さらに家老クラスから下級武士まで藩士の俸禄を半減した。また、藩札を刷新した上で新たに発行し、法令の整備などにも努めた。 貞享4年(1687年)9月4日「御家御条目」、元禄4年(1691年)「御用諸式目」を制定した。その他領内、寺院などにも法を制定し、人身売買の禁止など次々と法を制定し、福井藩領内の規律が整うことになる。元禄12年(1699年)、今立郡岩本に「紙会所」を置き、特産の越前和紙を藩の専売とした。しかし財政の不足は補えきれず、治世中に洪水が発生し領内が被害に見舞われ、また江戸城石垣修復の普請を命じられるなどの出費も重なり、領内に御用金を課すことも度々あった。藩札の再発行も行ったが、のち幕府により禁止された。次代の吉邦が相続する頃、藩財政は「御国反乱程之困窮」となっていた。
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