藩政復帰
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翌文久2年(1862年)、吉田東洋が暗殺されると、土佐藩主第16代・山内豊範より藩政復帰を命ぜられ、三度目の大監察に任ぜられる。 この頃、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太らは青蓮院宮から令旨を受けて藩政改革を断行しようと画策したが、文久3年1月25日(1863年3月14日)に上洛した山内容堂は、これを「僭越の沙汰である」と激怒し、彼らを罷免して土佐へ送還。切腹を命じるという事件が起きた。
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