藤と鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)
『信重解状』には諏訪明神と守屋大臣が「藤鎰」と「鉄鎰」を持ち出し、「懸此処引之(此処に懸けて之を引く)」とある。『解状』本文では「鎰(イツ)」に「ヤク」と振り仮名をしてあるため、「鑰(鉤、かぎ)」の代用字と考えられる。つまり、この文は「明神と守屋は土地(守屋の所領)に鉤を引っ掛けて綱引きのように引き合った」と解釈できる。ほかには、「鎰(ここでは祭祀権を象徴する「鍵」と解されている)」での引き合いは「祭祀権の争奪戦」を表しているという見解や、「鎰」による争いを「呪術比べ」を象徴するという見方もある。 前述の通り、『画詞』では「藤鎰・鉄鎰」が「藤の枝・鉄輪」に変わっている。これは、『画詞』が書かれた時代には「藤鎰」と「鉄鎰」がどのようなもので、それによってどのような葛藤があったのか分からなくなったためと考えられる。「輪」を「鑰」の誤字(写し間違い)とする説もある。 神話上の「鉄鎰(鉄鑰・鉄輪)」は、上社に伝わる鉄鐸(さなぎの鈴)を表し、これらが守矢氏が製鉄に関わった氏族で、やはり鍛冶技術に長じた物部氏とは何らかの関係があったことを示唆するという見解もある。守屋山中にも鍛冶場の跡と思われる「鋳物師(いもじ)ヶ釜」の地名が残っている。この諏訪と鉄の関係を暗示させる事例から、真弓常忠はタケミナカタを製鉄の神とし、明神と洩矢神の争いをスズ(褐鉄鉱)から砂鉄への製鉄技法の進歩、すなわち新旧文化の対決を意味すると解釈していた。 一方、諏訪明神が手にしていた「藤」は明神自身の表象ともみられる。山本ひろ子(2016年)は、凄まじい繁茂力のある藤とそれへの強い畏怖こそが入諏神話の発祥を解く鍵とし、「〔天竜川の〕両岸からせめぎあう藤の「抗争」(絡み合い)と、土着神(守矢一族)と今来の神(神氏一族)の「抗争」。どちらか一方なくしては、こうした所伝は生まれ得なかったし、命脈を保てなかったろう」と主張している。
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