蒲田工場・吾等が村(黒澤村)の沿革
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1913年(大正2年) タイプライターの国産化に備え、工場用地の取得準備を計画。蒲田村から矢口村にかかる一帯を工場予定地と決める。 1914年(大正3年) 蒲田村大字新宿、矢口村大字原志茂田、矢口村大字道塚にかけて、工場予定地として約2万坪の土地取得を開始。 1915年(大正4年) 貞次郎自宅を蒲田村字御園に移転 1916年(大正5年) 蒲田工場建設開始 1918年(大正7年) 2月 工場および社員用住宅の建設を開始 1920年(大正9年) 黒澤幼稚園設立 1921年(大正10年)建坪630坪 鉄筋コンクリート平屋建て工場完成(第一期工事)。社内機関紙「吾等が村」創刊 1923年(大正12年)関東大震災により、蒲田工場倒壊 1928年(昭和3年) 蒲田工場 震災復興工事完了 1929年(昭和4年) 黒澤小学校開校 1944年(昭和19年)黒澤小学校閉鎖 1945年(昭和20年)空襲により社宅の一部を焼失
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