董和とは? わかりやすく解説

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董和Dong He

トウワ

(?~?)
益州太守・掌軍中郎将

字は幼宰南郡枝江の人。

先祖巴郡江州の人だったという。董和は一族引き連れて益州入り、牧劉璋により牛鞞・江原県長成都県令任じられた。当時益州風俗奢侈贅沢に傾いていたが、董和は率先して粗衣粗食甘んじ領民にも身分わきまえぬ振る舞い禁止したので、彼の統治した地域はみな治まった。しかし一部豪族たちが彼を煙たがり、劉璋根回しし巴東郡属国都尉転任させようとした。ところが董和を慕う数千人の住民たちが留任懇願したので、劉璋は二年間留任認めた。のち任期終えて益州太守栄転異民族協力しながら誠意貫いた政治行い南方人々彼に信頼寄せて尊敬した

のち劉備益州平定すると掌軍中将に召し出され諸葛亮とともに左将軍劉備)の役所仕事担当した善いことを勧めて悪いこと止めさせるような付き合いをして、諸葛亮仲良くした。董和は官吏になってから、外向きには異民族土地をよく治め内向きには政治中枢担い合わせて二十年以上になったが、彼が死んだとき家にはほとんど財産を残さなかった。

のちに諸葛亮丞相就任したとき、部下への命令の中でこう言った。「仕事をするからには人々意見をよく聞いて批判遠ざけてならない自分と異な意見聞いて仕事成し遂げるのは、破れた草履棄てて珠玉手に入れるようなものなのに、それができないのが人間というものだ。しかし徐庶だけは人々批判をよく受け入れ、董和も仕事のうえで疑問があれば何度も考え直した相談にやってきたりした。十分の一でも彼らの態度見習うことができたら、私も過失を減らすことができるのだが」。「私は昔、崔州平付き合ってたびたび欠点指摘され、のちには徐庶からもいろいろと教えられた。董和と一緒に仕事をしたときは言うべき事を言ってくれたし、胡済には諫言してもらって間違い改められた。私は愚か者なので全て受け入れることはできなかったけれど、この四人とはずっと気があった。これというのも彼らが言うべき事を躊躇せず言ってくれたからだ」。

参照胡済 / 崔州平 / 諸葛亮 / 徐庶 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 益州郡 / 牛鞞県 / 江原県 / 江州県 / 枝江侯国 / 成都県 / 南郡 / 巴郡 / 巴東郡 / 巴東郡属国 / 県長 / 県令 / 左将軍 / 掌軍中郎将 / 丞相 / 属国都尉 / 太守 / 牧



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