落石無線電報局「JOC」とは? わかりやすく解説

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落石無線電報局「JOC」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 08:56 UTC 版)

落石岬」の記事における「落石無線電報局「JOC」」の解説

1908年明治41年12月26日逓信省落石無線電信局(呼出符号JOI [Japan OtchIsi])が船舶局との公衆通信電報)を取扱うために開業した。その初代電信所の位置落石岬南西端(落石岬灯台から南西へ約1.6km)である。特に、北米航路航行する日本船籍商船にとっては、日本電報交換し、また航行情報伝え西部北太平洋を守る最重要海岸局となった1913年大正2年1月1日長崎県大瀬崎無線電信JOS末尾S(モールス符号「・・・」)と落石無線電信JOI末尾I(モールス符号「・・」)が短点で1つしか違わず紛らわしいため、JOC [Japan OtChisi]に変更された。 1915年大正4年6月15日には、落石無線電信JOCロシアカムチャツカ半島)のペトロパブロフスク局間で公衆通信取扱い開始したが、これが日本最初外国電報サービスだった。1916年大正5年1月10日ハワイカフク局との(当時としては)超遠距離となる通信実験にも成功している。 1919年大正8年9月12日北千島幌筵(ほろむしろ)無線電信局JHJが置かれ落石無線電信JOCとの公衆通信取扱いはじまった幌筵無線電信局JHJは夏季シーズン(4~9月)に限定して通信拠点として開設され無線通信士は主に落石局から派遣出張)された。 1923年大正12年12月21日無線電信局を距離を離した送信所受信所に分けて二重通信方式同時送受信)とした。送信所は岬先端にあった電信局から北東へ2km程の場所に移転させ、また受信所は根室市桂木光洋町)とした。1925年大正14年9月15日サンフランシスコ向けて横浜港出た春洋丸に乗船している逓信省伊藤豊技師長津定通信書記が持ち込んだ短波受信機向けて日本ではまだ黎明期にあった短波試験送信行ったのも、ここ落石無線電信JOCである。短波実験施設としては東京無線電信局(岩槻受信建設現場)のJ1AA、逓信官吏練習所無線実験室のJ1PPに次ぐ三番目である。 1931年昭和6年)にはチャールズ・リンドバーグ北太平洋横断飛行の際に交信行っている。 1960年代までは、落石無線電報JOCから発せられたモールス信号を、日本から最も近い海域航行中船舶受信。それが数隻の僚船経由して、はるか地球の裏側航行する船舶にも、日本最新ニュースや、会社からの指示伝えられたものだという。1966年昭和41年)、札幌中央電報局統合された。 落石岬入口付近にはた落石無線局跡の碑がある。

※この「落石無線電報局「JOC」」の解説は、「落石岬」の解説の一部です。
「落石無線電報局「JOC」」を含む「落石岬」の記事については、「落石岬」の概要を参照ください。

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