茶輸送の断念後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:26 UTC 版)
「カティサーク」にはマストを短くする改修がなされた。 1880年、アメリカ海軍からの日本へのウェールズ炭輸送の依頼があり、ウィリスもそれに「カティーサーク」を投入。石炭を積んだ「カティーサーク」は6月4日に日本へ向けて出発した。この時の乗組員にはいろいろと問題があった。航海中、一等航海士とある黒人水夫との間でトラブルが発生し、ついに一等航海士の行為によって黒人水夫が死亡する事態となった。結果、船内は反乱発生寸前な状態となった。ウオリス船長は水夫による殺害の虞からジャワ島で一等航海士をアメリカ船へと逃がした。その後、航行中にウオリスは海に飛び込み行方不明となった。この結果「カティサーク」を指揮することになった二等航海士は日本までの航海を行うには力不足であり、ジャワ島からウォリスに善後策を求めた。ウィリスは「カティサーク」のシンガポール回航を命じ、その船長には香港にいた「ブラックアダー」の一等航海士ブルースを充てた。このブルース船長およびカルカッタで乗船した一等航海士は問題のある人物で、最終的にニューヨークでの二等航海士からイギリス領事への訴えにより両者は免許取り上げとなった。 次の船長には「ブラックアダー」船長であったムア(2代目船長とは別人)がなった。「カティサーク」は油樽を積んで1882年5月4日にニューヨークを出発し、8月20日にジャワ島スマランに到着して荷揚げ。それからインドで粗糖、堅果、水牛や鹿の角などを積んで1883年6月2日にイギリスに戻った。
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