茶貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
17世紀から、ヨーロッパとの茶貿易が始まる。1609年にオランダ東インド会社が日本の緑茶を平戸から運び、オランダを通じてフランスやイギリスで飲茶の習慣が広まった。のちに日本からは貴金属の輸出が増え、茶は中国が主流となる。18世紀からイギリス東インド会社はコショウに代わって紅茶貿易に力を入れ、1760年には620万ポンドと総輸入額の60パーセントを占めた。18世紀初頭では緑茶の割合が多かったが、中頃には紅茶が多くなった。陸路ではロシアにも運ばれ、マカリエフの定期市などで大量に扱われた。やがて、一番茶を運んだ船にプレミアをつけるという習慣が生まれ、速度の出る大型帆船としてクリッパーが普及する。イギリスは輸入超過が続いて中国へ銀が流出したため、その解決策としてアヘン貿易が行われる。イギリスの茶貿易は植民地との対立も生み、アメリカ合衆国の独立につながった。
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